≪復刻版≫古田敦也 the MAN of NPB

≪2004.9.6の日記より≫
[70万分の2]
もう1ヶ月近く前だと思う。
豊橋でのウェスタンリーグの試合前、
近鉄のファンがやっていた合併反対の署名にサインをした。
その時は、今更何の役にも立たないだろうなと思っていた。
ところが、先日大阪で開かれた「合併反対集会」の壇上で近鉄の磯部選手会
会長に手渡された70万人分の署名の山。
その中に、間違いなく僕と息子が書いた署名は含まれている。
たかが、70万分の2かも知れない。
けど、そのたったの「2」が力になってここまでこぎつけてくれたことを嬉しく思った。
役に立ったんだと。
ウェスタンリーグの試合後、まだ署名運動を懇願しに来た女の子に声をかけた。
「さっき書いたからごめんね。けど、頑張ってね。」
「ありがとうございます。」声が弾んでた。声援が嬉しかったようだ。
彼女は全く諦めてなかった。

プロ野球の明日が見えない。
9月8日に恐ろしいことが起こるかも知れない。
ただ不安な時期を過ごしている。
不安というよりもあまり考えたくない。考えてどうにもなるわけではない。
正直、自分の会社の合併と同じくらい考えたくない。
僕の最終的な結論はひとつだ。
近鉄、オリックスの合併はやむを得ず許す。(もちろん本音は反対)
その代わり、6球団で維持できるよう新球団つまりライブドアの参入を認める。
さらに、セパの交流試合を実現。
これで、間違いなくプロ野球は活性化する。
間違いない。

≪それから11日後、2004.9.17の日記≫
[2004.9.17]
古田の目からは大粒の涙がこぼれた。
それまで我慢していたその表情は、ファンからのFAXを女子アナが
読み上げた瞬間、大きく崩れ、涙をこらえきることはできなかった。

昨日の日記は何だったんだろう。
かすかな、いや大きく膨らんだ期待はもろくも崩れ去った。
僕らファンを代弁して戦い続けた古田の思いは通じず、明日からストが始まる。
120万人のファンの願いはついに届かなかった。

「お父さん、ストって何?」
2週間くらい前、息子に聞かれた。
雇用者と労働者の関係から、労働条件の話まで分かりやすく説明した。
しかし、今回はそれほど単純なものではない。
労働者の後ろにはプロ野球ファンという圧倒的な応援団がいる。
しかし、そのファンの思いは伝わらなかった。
プロ野球のストライキ。
僕は、息子にどう説明したらいいんだろう。
「最大限の努力」をしないであきらめること、
最高責任者であるコミッショナーが「や~めた」といってトンズラすること。
納得のいかないことが公然とまかり通ろうとしている。
その納得のいかないことに対して古田は最後まで一歩も譲らなかった。
記者会見での第一声。
「120万人もの合併反対の署名をしてくれたファンにまずお詫び申し上げます」
ファンのために、本当にファンのために、プロ野球に明るい未来を与えようと頑張ってきた古田。
僕には何もできない。
ただ少なくとも息子には、古田の勇気と果敢に立ち向かう男の生き様の素晴らしさを伝えようと思う。

古田の涙を無駄にはしたくはない。

≪それから6日後、2004.9.23の日記より≫
[2004.9.23]
あれから1週間。
僕は息子とナゴヤドームの内野席に座っていた。
「今週予定されていたプロ野球のストライキは回避されました。」
5回裏終了時に流れた場内アナウンスに4万人の観客から大歓声と拍手が湧き起こった。
みんなが待っていた。
もちろん僕も待っていた。
その歓声を聞きながら涙がこぼれそうに、いや、大粒の涙が自然とこぼれていた。
8回表、トイレから戻ってくると代打・古田がコールされた。
プロ野球機構とのスト交渉、そして試合が始まっているのに記者会見まで終え、
選手会長としての説明責任を果たしたうえで、古田がグランドにやってきた。
古田がいなかったら、1、2年の間に1リーグ10チームまで縮小されたかも知れない。
古田が土壇場でプロ野球を支えた。先週のプロ野球ニュースでの古田のあの涙を僕は忘れない。
テレビの収録中、小声で「悔しい」を連発していた古田が、颯爽とグランドに戻ってきた。
場内は総立ち。ヤクルトファンも中日ファンも4万人全てのプロ野球ファンが古田を温かい拍手と大歓声で迎えた。
僕も立ち上がって「古田ぁ~、ありがとう!」と叫んだ。
大歓声のなかで聞こえてはいないだろうけど、直接古田にお礼が言えたことが何より嬉しかった。
息子も拍手を送っていた。その拍手の意味は分かっているはずだ。

試合中、ヤクルト選手がスタンドに投げ入れた試合球を運良くダイレクトキャッチ。
ボールには、NPB(日本プロ野球機構)のスタンプ。
2004年9月23日。
“プロ野球が生き残った日”の記念ボールとして、その日付を刻んでおこう。


[2007.9.19]
そして、あれから3年。
プロ野球はセパともに9月になっても熱い戦いを繰り広げている。
今日、古田がグラウンドを去ることが発表された。
選手として、監督としての古田の姿を見るのはもうあと何試合かに残された。
けど、僕は忘れない。
3年前、崩壊寸前の日本のプロ野球を救ったプロ野球選手会長としての古田を。
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by huehuki-pi-hyoro | 2007-09-19 23:23 | 野球  

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